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熊本地方裁判所 昭和62年(ワ)1382号 判決 1989年2月28日

主文

熊本労働基準局長昭和六二年四月九日付納入告知にかかる原告の被告に対する金七万〇六四九円の損害賠償金債務は存在しないことを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  請求の原因

1  交通事故の発生

原告と訴外西田カツエ間に左記の交通事故が発生した。

日時 昭和六一年六月三日午後五時一〇分頃

場所 熊本県八代市平山新町五八〇六番地先無信号交差点

態様 広路を直進中の原告運転普通乗用車(保有者上川重明)と、これと十字に交差する狭路を左側から一時停止することなく進出してきた訴外人の運転する原動機付自転車とが出会い頭に衝突し、右訴外人が左足挫切創・腰部打撲等、入院七一日、通院一九三日(うち実治療日数五七日)の加療を要する傷害を受けた。

2  被告国の立場

右の交通事故は訴外西田カツエにとつて労働災害(通勤災害)であり、被告は同訴外人に対し労働者災害補償保険法に基づく給付をなしたものである。

而して被告の歳入徴収官熊本労働基準局長は、右の給付に伴ない金七万〇六四九円の損害賠償請求権を取得したとして、昭和六二年四月九日、原告に対し右同額を国庫に納入すべき旨を告知してきた。

3  本件事故の責任割合

本件事故については、交通整理の行われていない十字交差点において狭路から一時停止を怠り安全を確認しないまま交差点に進出した訴外人の過失の方が大きく、その割合は原告四・訴外人六であり、訴外人の損害賠償額については六割の過失相殺がなされるべきことは前記歳入徴収官もこれを認めているところである。

4  損害の填補

右訴外人の損害については、既に原告の締結した自賠責保険より金一二〇万円の支払いがなされている。

5  従つて前記の責任割合に照らすときは、訴外人の総損害が金三〇〇万円を超えない限り、原告の同人に対するその余の賠償義務は生じない。

ところで、右訴外人の損害は、医療費八〇万六一五六円、休業損害四一万二九〇円であり、これに相当の慰謝料ならびに雑費を加算しても到底右三〇〇万円を超えることはない。

然るに被告の歳入徴収官は、前記納入告知に対する原告の撤回要求に拘らず督促に及ぶので、やむなく本訴を提起する次第である。

二  請求の原因に対する答弁

1  請求の原因第1項のうち「通院一九三日」とある点は不知、その余は認める。

2  同第2項ないし第4項は認める。

3  同第5項は争う。

三  被告の主張

別紙(一)被告の主張記載のとおり

四  原告の反論

別紙(二)原告の反論記載のとおり。

第三証拠

本件記録中の各証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求の原因第1項ないし第4項の各事実(但し、通院日数の点を除く)は、いずれも当事者間に争いがない。

二  本件における被告の主張は要するに、本件事故(通勤災害)の被害者西田カツエに対し被告(八代労働基準監督署長)が支払つた休業補償金三一万六八二三円の内金七万〇六四九円について、被告は、労災法一二条の四第一項の規定により、被害者が原告に対して有する損害賠償請求権を取得したというものである。そうすると、被告の主張の正否は、被害者が原告に対し右請求権を有するか否かにかかることになる。

三  ところで、被告の主張(別紙(一)被告の主張第一項)によれば、本件事故による被害者の損害(いわゆる人損)は、総額二〇一万八五五六円(その内、休業損害は七〇万三〇〇〇円)である。本件事故により、被害者に右以上の及び右以外の損害が生じたことの主張、立証はない。

そこで、被害者の右総損害額について、当事者間に争いのない過失割合によつて過失相殺を行えば、原告が被害者に対して支払うべき損害賠償額(被害者から言えば、原告に対する損害賠償請求可能額)は、八〇万七四二二円となる。

四  一方、本件事故につき被害者に対し、すでに自賠責保険から一二〇万円が支払われていることもまた、当事者間に争いがない(但し、成立に争いのない乙第二号証によると、自賠責保険から直接、被害者及び診療機関に支払われた金額は被害者に三八万一二五〇円、診療機関に七八万八二五〇円合計一一六万九五〇〇円で、残額三万〇五〇〇円は、加害者が被害者に支払つていることが認められる。)

しかして、被害者は、自賠法三条の規定による保有者の損害賠償責任が発生したときに、保険会社に対し保険金額の限度において、損害賠償額の支払を請求できる(いわゆる直接請求、自賠法一六条)のであるから、被害者に対する自賠責保険の給付は、その実質は加害者のなす民事上の損害賠償義務の履行にほかならない。『従つて、仮に、自賠責保険からの被害者に対する支払が、被害者の請求及び自賠責保険の独自の損害算定基準に基づき、各損害の項目ごとに、金額を明示してなされたとしても、それは保険の限度内においての給付額を算出するための便宜にとどまり、加害者の民事上の損害賠償額を最終的に確定するについては、何ら拘束力を有するものではなく、自賠責保険からの支払金は、これによりその金額の限度において被害者の損害(人損)が填補されたものとして、損害賠償額から一括控除して差支えないものといわねばならない。』このように取扱うことが、被害者の迅速的確な保護の保障と関係当事者間における煩瑣な求償手続の回避とを可能にし、自賠法の目的及び損益相殺の法理に適うものというべきである。

五  以上述べたところによれば、本件事故による被害者西田カツエの損害は、すでに全額填補されていることが明らかであり、もはや被害者から原告に対し損害賠償請求をなす余地は存在しない。さすれば、被告が原告に対し損害賠償請求権を取得することも有り得ない。被告は、これと異なる見解に立つて、本件においても自賠責保険と労災保険との調整を行い、原告に対し損害賠償請求権を有すると主張するものであつて、右被告の主張は採用できない。

六  よつて、原告の本件債務不存在確認請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 土屋重雄)

別紙(一) 被告の主張

一 被害者の受けた損害

被害者は、次のとおり本件事故により少なくとも二〇一万八五五六円を下らない損害を被つた。

(一) 診療費 五一万一四七四円

(二) 入院費 四〇万六三三二円

(三) 文書費 五〇〇〇円

(四) 休業損害 七〇万三〇〇〇円

(五) 雑費 三万二三五〇円

(六) 慰謝料 三六万〇四〇〇円

二 労働者災害補償保険の給付

1 昭和六一年一一月六日、被害者は、八代労働基準監督署長(以下「八代署長」という。)に対し、本件事故による傷害は、労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)にいう通勤災害に当たるとして労災法施行規則二二条の規定に基づき、第三者行為災害届(通勤災害)をした。

2 右届けを受けた八代署長は、関係人等を調査し、本件事故による災害を通勤災害と認定した。

3 労働者災害補償保険における療養費の支給

(一) 八代署長は、被害者の災害が自動車事故によるものであることから、保有者が自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)を締結している訴外東京海上火災保険株式会社に対し、自賠責保険の請求及び支払状況を照会したところ、右保険会社から、昭和六二年一月二二日次のとおりの回答を得た。

(1) 被害者及び原告は、昭和六一年一一月二〇日、同年六月三日から同年九月一六日までの間の診療費七八万六四五〇円、休業補償一一万八四〇〇円、慰謝料三六万〇四〇〇円及びその他四万三三〇〇円合計一三〇万八五五〇円を請求した。

(2) 前項の請求を受けた右保険会社は、請求にかかる額が法定限度額一二〇万円を超えるため、昭和六一年一二月一六日、被害者に対し三八万一二五〇円、原告に対し三万〇五〇〇円及び被害者の診療機関に対し七八万八二五〇円、合計一二〇万円を支払つた。

(二) そこで、被告は、診療費については、自賠責保険が既に給付をしていたので、自賠責保険との調整をしたうえ昭和六二年四月二七日、一回から六回まての請求額一五万六〇三九円に対し一五万〇七四九円を、同年五月一三日請求額一万〇八六七円に対し同額を、合計一六万一六一六円を八代総合病院に対して支払つた。

4 労働者災害補償保険における休業補償の支給

前述のとおり自賠責保険が既に給付されていたので、自賠責保険との調整を要し、昭和六一年六月四日から同年九月二八日までの休業給付二一万九五六四円のところ自賠責保険とを調整し一七万六二二五円及び同年九月二九日から同年一二月一〇日までの休業給付として一四万〇五九八円、合計三一万六八二三円を昭和六二年三月一二日に被害者に支払つた。

三 代位取得

1 自賠責保険から支給された休業補償相当額は九万三四六七円であり、被害者の休業損害額に過失割合を考慮して算出した額から右九万三四六七円を差し引いた額の内金七万〇六四九円について、被告は、労災考慮して算出した額から右九万三四六七円を差し引いた額の内金七万〇六四九円について、被告は、労災法一二条の四第一項の規定により被害者が原告に対して有する損害賠償請求権を取得したものである。

2 よつて、被告は、原告に対し、右七万〇六四九円を求償するため昭和六二年四月八日付け納入告知書を送付した。

別紙(二) 原告の反論

一 交通事故による被害者から加害者に対する損害賠償請求に関して、被害者にも過失があるときに、損害の一部が自動車損害賠償責任保険からの給付金によつて填補されている場合、右給付金の損害からの控除と過失相殺との関係が問題となるが、わが国における裁判並びに保険の実務においては、控除前相殺説(すなわち、総損害から過失相殺をなした上で自賠責保険給付額を控除する)が大勢である。然し自賠責保険は、交通事故の被害者に生じた損害を加害車両に強制的に付せられた保険により加害者に代つて賠償責任を履行せんとするもので、加害者の賠償責任の存在を前提とするからである。

而して、自賠責保険から被害者に給付がなされたことは、加害者が損害賠償をなしたことと同義であることは論を要しない。

二 ところで、被告の主張第三項によれば、自賠責保険から支給された休業補償相当額は九万三四七六円であり、(これは誤りで真実は一一万八五五〇円である―甲第一号証)、被害者の休業損害額に過失相殺をなして算出した額から右九万三四七六円を控除してもなお未填補額が存するので、その部分の賠償請求権を代位取得した、という。

然しながら、前述のとおり、被害者に過失がある場合に、被害者が加害者に対して有する損害賠償請求権の額は、被害者に生じた総損害額を算定し、これにつき過失相殺した後の額(以下これを賠償請求可能額という)とする所謂一括方式が裁判実務の大勢である(並木茂・過失相殺に関する訴訟上の諸問題、新実務民事訴訟講座4・一八二頁以下)。

そして損害填補的機能を主たる目的とする自賠責保険給付額を控除する場合は右賠償請求可能額から一括して控除するのがこれまた裁判実務の大勢である。

本件において、過失相殺の割合が六割であること、自賠責保険からの填補金が一二〇万円であることは、当事者間に争いがない。

而して被害者の受けた損害は、被告の算定するところでは金二〇一万八五五六円である。

してみると、被害者の加害者たる原告に対して求めうる賠償請求可能額は八〇万七四二二円であり、これは自賠責給付額により既に填補済みであり、もはや被害者が原告に求めうべき賠償請求権は存しないことは明らかである。

然るに被告は、自賠責填補額を費目毎に微視的に捉え、未だ休業補償請求については賠償請求権ありというのである。

それならば、診療費総額九四万九八六六円に対する賠償請求可能額三七万九九四六円に対し、自賠責保険から金七八万八二五〇円を填補して過剰填補となり、その分労災保険からの填補責任を免れていることを、被告はどう考えるのであろうか。

もし、労災給付が行われてなく被害者が直接訴求した場合は、前述の裁判実務に照らし請求が認められる可能性はないのに、労災給付が行われた場合は、労災取扱い実務においては費目毎に処理するので、費目によつてはなお加害者に求償の余地がある、というのではあまりにも彼此権衡を欠くというべきである。

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